公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

2005年度[第14期]
2005年9月4日/白峰 望岳苑

国立公園百年の歴史

瀬田信哉
瀬田信哉/1938年生まれ。阿寒・南アルプス・中部山岳国立公園(立山・上高地)レンジャーなどを歴任し、環境庁審議官として国の環境行政の舵取りを行う。
 明治6年、日本にはじめて「公園」ができた。これはいわゆる「都市公園」で、大都市の人が多く集まる場所や名所が選定された。その後、明治期のナショナリズムの盛り上がりの中で、日本の風景を見つめ直す動きが活発化し、それがやがて、「自然の中に公園を作ろう」という動きに結びついた。そして昭和9年、日本初の国立公園が誕生した。
  国立公園の概念は、「大自然の風景地を指定して守る」というところにある。と同時に、「利用する、楽しむ」ということも重要な要素だ。だから、国立公園第一号は、瀬戸内、霧島と並び、既に温泉地として開発され、ゴルフ場も造成されていた雲仙が選ばれることになった。その後、環境問題が深刻になった頃から「エコロジー」という考え方が選定基準に盛り込まれ、それが釧路湿原の国立公園昇格に結びついた。以来、生態系保護というテーマは他の国立公園全体に及んでいる。
  世界遺産の自然環境保全地域と国立公園との大きな違いは、前者には「利用計画がない」ことだ。「自然に手をつけない」世界遺産に対して、国立公園は、多くの人が安全に利用できるようになっている。レンジャーに出会えるのも特色の一つだ。国立公園で本物の自然に触れて、新しい感動を見つけてほしい。