公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

2005年度[第14期]
2005年10月22日/白峰 望岳苑

藤沢周平の世界

湯川豊
湯川豊/1938年、新潟県に生まれる。(財)白山麓僻村塾評議員長。東海大学文学部教授。64年文藝春秋に入社し、「文学界」編集長、常務取締役を経て2003年退社。その間、敏腕編集者として数々の作家を育て上げた。優れたエッセイストとしても知られ、著書に『イワナの夏』がある。現在、毎日新聞書評を担当中。
 藤沢周平の作品に「海坂もの」と言われる作品群がある。藤沢の故郷である鶴岡、庄内藩をモデルにしたもので、藤沢小説の魅力的な部分が結集していると言われている。最近映画化された「蝉しぐれ」はその一つだ。
  一人の人間の成長を、40年間を通して描くこの作品は、ドラマが連続して読み手を引っ張るというより、いくつも用意された「美しい場面」に読者が出会うことによって、時間の経過と人間の成長を感じさせる仕掛けになっている。これが成功しているのは、ひとえに藤沢の文章が優れているからだ。規範となるような美しい日本語を使い、正確に場面を作り上げる力は稀有のものだ。
  藤沢は作品の中で、欲望や弱さを背負っている人間を現実よりも少しだけ美しく描いた。それが可能だったのは、江戸時代という時代、そして時代小説という器だったからかもしれない。江戸時代の日本人は、少なくとも心の持ちかたという点で、今の日本人よりも良いところがたくさんあったのではないか。そんなふうなことを思わせるのも藤沢作品だ。
  本人はとても無口な人だった。小説を書くということに心から没頭していたのではないか。そんな藤沢周平の世界をぜひ堪能してほしい。