公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

平成20年度[第17期]
平成20年7月5日/白峰 望岳苑
俳句の楽しさ9

俳句、長すぎる。

鷹羽狩行
鷹羽狩行/1930年、山形県に生まれる。俳人。「狩」主宰。(社)俳人協会会長。山口誓子、秋元不死男に師事し、65年句集『誕生』で俳人協会賞受賞。74年『平遠』で芸術選奨文部大臣新人賞。99年文化関係者文部大臣表彰、2002年毎日芸術賞受賞。
 句歴を重ねていくと「俳句は長すぎる」と感じるときがくる。わずか十七音に過ぎない俳句の情報量は確かに少ない。だが、十七音まで使わずに言いたいことを完結させることもできる。

<母の□□てのひらの味塩むすび> 狩行
<算術の少年しのび泣けり□> 三鬼

 どうだろう。□の言葉がなくても内容は伝わるはずだ。ただ、この句には季語が入っていない。そこで何を入れたら内容がより豊かになるか、生きてくるか。さらに句の調べを良くするか。今度はそう考えていく。

<母の日のてのひらの味塩むすび> 狩行
<算術の少年しのび泣けり夏> 三鬼

  「母の日」「夏」という季語によって、一句の調べが整い、さらに内容に深みが加わったはずだ。つまり、俳句は詰め込むものではない。自分がつかんだ核心を、十七音に引き延ばすものだ。その過程で、ときには積極的に意味を持たない言葉、いわゆる「遊び言葉」を介しながら、含蓄を増させることもある。そういう捉え方をすれば、俳句が「長すぎる」という意味もわかってくるだろう。
  俳句は言葉を徹底して削り込まなくてはならない。そして削り去ったものが、今度は、句を味わうときに余韻として浮かび上がってこなければならない。それができ、俳句が長く感じられるようになれば、一人前であると言えるのではないだろうか。