公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

2012年度[第21期]
2012年8月25日/白峰 望岳苑

青春、父の終焉、
家出の消滅

辻原 登
辻原登/小説家。1945年生まれ。『村の名前』芥川賞。『翔べ麒麟』読売文学賞。『遊動亭円木』谷崎賞。『枯葉の中の青い炎』川端康成文学賞。『花はさくら木』大佛次郎賞。
 青春、という言葉をあまり耳にしなくなった。かつて青春は、人生の核心だった。革命も恋愛も挫折も苦悩も、父と子の対立も青春という主題の変奏に他ならなかった。しかし、戦後の大学闘争を絶頂にして、青春という言葉は輝きを失っていく。決定的なのは連合赤軍事件だった。それは青春が血に塗れながら退場した出来事だった。
 子供は成長の過程で〈物語〉を作ることで精神的な危機を乗り越える。フロイトの「家族小説(ファミリー・ロマンス)」という概念。捨子物語と私生児物語だ。ここでは父親が重要な役割を果たす。父親は、母親が生物的存在であるのに対し、文化的存在である。だから、社会の中で作られる。しかし日本における父親製造工場は低迷の一途だ。
 家出は一般的に「父」からの脱出である。また家出は、こことは違うところへ行くことだ。そのため、いまとあそこの差異が大きければ大きいほど、家出はいっそう家出らしくなる。その意味で、浦島太郎はわが国最大の家出息子だ。近代の小説も原理は同じだ。田舎と都、乞食と王子の差…。主人公はこの差を埋めるべく活躍する。しかし1970年以降、このような差は見えなくなった。「父」も、めざすべき「首都」も、あるいは竜宮城の「異界」も消えた。では、家出息子はどうなったのか。私は、秋葉原事件の加藤智大にそのなれの果てを見る。