公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

2013年度[第22期]
2013年6月8日 午後3:00~・白峰 望岳苑

丸谷さんが遺したもの2

湯川豊
湯川豊/白山麓僻村塾副理事長。文芸評論家、エッセイスト。1938年生まれ。元文藝春秋常務取締役。2010年『須賀敦子を読む』で読売文学賞。ほか『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮の谷』『本のなかの旅』など。
 いま、文藝春秋では、丸谷さんの一周忌にあたる十月十三日を目標に丸谷才一全集を出そうとしている。この編集委員は僻村塾メンバーである池澤さん、辻原さん、私、そして評論家の三浦雅士さんの四人で二ヶ月に一度くらいのペースで議論を重ねている。そんなこともあって、自分の関心がなかなか丸谷さんから離れない。
 丸谷さんは大正十四年生まれ。すなわち、昭和元年生まれで、中学、高校という思春期を太平洋戦争の真っ只中で過ごした。このことが丸谷さんのその後の生き方を決めたようなところがある。
 丸谷さんが中学時代に抱いたことは、学生に全く無意味な労働をさせるこの戦争はきっと負ける。そして、この戦争とは一体何なのか、という謎だった。
 『思考のレッスン』は、本をどうやって読むか、文章をどう書くを具体的に語る本だ。このなかで、丸谷さんは「謎を持って、謎を育てろ」「その謎を簡単に解こうとするな。すぐに答えを求めようとするな」と言っている。
 それを体現するかのように、丸谷さんは少年時代に抱いた謎、つまり日本人はなぜこういう戦争をしたのか、ということを生涯に亘って考え続けた。最初の代表作『笹まくら』から死の直前まで書かれた『茶色い戦争ありました』に至るまで、それは一貫した姿勢だった。
 こういう例は他にもある。例えば、『後鳥羽院』。それまで低かった新古今和歌集の評価を高めた本だ。丸谷さんは、初版から実に三十一年後に、全く新しい三編を加えて、第二版を出版した。この持続力は並大抵のことではない。
 丸谷さんの死後、未完の「クリムト論」が発見された。クリムトの風景画はなぜ真四角なのか、それをどう考えたらいいのか、まとめつつあったものだ。遺された詳細なノート、参考文献の山から、最後の最後まで丸谷さんが謎を追いかけていたことを実感した。
 疑問を抱き、それをいつも考え、少しづつ発見をしていく。こういう丸谷さんの心の持ち方、精神のあり方というのは、ただ単に文学者が書くときの手本というだけではなく、ふつうの人々が生活のなかで物事を考えていくときにすごくヒントにもなると思う。ぜひ、丸谷さんの思考に触れてほしい。