公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

2013年度[第22期]
2013年9月28日白峰 望岳苑

「お経とわたし」

伊藤比呂美
伊藤比呂美/詩人。1955年生まれ。『河原荒草』高見順賞、『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』萩原朔太郎賞、紫式部賞。『読み解き「般若心経」』『父の生きる』ほか著書多数。1997年に渡米。拠点をカリフォルニアとする。
 「お経とわたし」というタイトルをつけた。なぜお経なのか。
 私は宗教心のない家で育った。家には仏壇もなかった。8年前に、母が寝たきりになった。その前から病を患っていた父が独居になり、一人っ子の私はカリフォルニアから両親が住む熊本に通った。多いときは月に一度のペースだった。病院で寝たきりの母、テレビの時代劇と野球と相撲の中継を生きがいにする父。私から見れば、二人はもう死のうとしているのに何の準備もしていなかった。そのことが驚きだった。  父母は戦争によって価値観を壊された世代だ。そのせいか、その前の日本人が持っていたはずの宗教観というものが見事になかった。でも、やはり病気は辛い。信じるものがあれば楽に生きられるかもしれない。両親が宗教に関心がないなら、私が代わりに興味を持とう、そうやって手にしたのがお経だった。  そこで読んだ言葉があまりに美しかった。詩人として、これを翻訳して日本語にしたいと思った。

「懺悔文(さんげもん)」 わたしががこれまでになしてきた いろんなあやまちは はるかなむかしから みゃくみゃくとつながる むさぼる心・いかりの心・おろかな心をもとにして からだ・ことば・いしき をとおして あらわれてきたものだ。わたしはいま きっぱりとここにちかう。そのすべてを ひとつ ひとつ 心をきりきざむようにして 悔いて いきます。

 お経が私の心をとらえるのは、村から村へ、街から街へと仏教を説いてまわったインドの先人の姿が、私たちの文化にある説教節や文楽の<語り物の世界>と重なるからだ。詩人として私がめざすものもここにある。  若いころ、母とはいつもケンカばかりだった。母は衰えるにつれ、社会性を失い、自分がこどもだった頃の話ばかりになった。そんな母に、私は悩みを話し、母は母なりに一生懸命に考えて答えてくれた。そんな一時期があって本当に良かったと思っている。  父が死んだ後、なぜ私はアメリカに行ったのか、後悔する夢を繰り返し見た。でも、自分はどうしてもそうせざるをえなかったとわかったとき、父を送れたような気がした。
 親を送り、一人になった感じがする。人間というのはこのために生きてきたんだ、という気が今はしている。