公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

2012年度[第21期]
2013年2月23日/白山市 千代女の里俳句館

丸谷さんが遺したもの

湯川豊
湯川豊/(財)白山麓僻村塾副理事長。文芸評論家。1938年生まれ。元文藝春秋常務取締役。著書に『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮の谷』『須賀敦子を読む』読売文学賞。
昨秋、丸谷才一さんが亡くなった。現代文学における丸谷さんの影響は計り知れない。また、その活躍は多方面に渡っていた。小説家、批評家、エッセイスト、翻訳家として優れた仕事を残し、玩亭という俳号を持つ俳人であり、さらに日本の書評を変革したジャーナリストでもあった。
 小説は20世紀のモダニズム文学の系譜につながっていた。文学の伝統を強く意識し、その上に常に新しい何かを付け加えて書こうとした。一方、「謎を育てる」という言葉で、自分が抱いた関心を、納得するまでずっと持続させる人でもあった。1973年に書いた評論『後鳥羽院』を31年後に大幅に加筆して、『後鳥羽院第二版』として出したのもその態度の表れだろう。
 しかし、丸谷さんが一番持ち続けた関心は、自身が経験した太平洋戦争ではなかったか。代表作である『笹まくら』は徴兵忌避者を描いた初期の長編だが、日本の近代というものがどういう道筋を通って、戦争に突入し、敗戦に至ったか。この謎を終生考え、表現を与えようとしていたと思う。  事実、遺稿は〈昭和20年8月15日〉をテーマにしたものだった。最後の小説がそこに帰っていったことを知り、文学者として非常に見事であると思った。
 丸谷才一の世界は実に豊かだ。ぜひ、触れてほしい。